スイレンと山彦の話

ナルキッソスとエコーの話
ハッピーエンドを目指したのだが……

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ナルキッソスは不幸な男だった。
 第一の不幸は彼が絶世の美貌を持っていたこと。
 第二の不幸は彼をだれもかれもがそんな見た目だけで褒めそやしたこと。
 ナルキッソスはそんな風に自分を慕う妖精たちを冷たく振った。
 決して彼がことさら冷淡な人間だったわけではない。むしろ外見だけを見て彼の内面を見ようともしなかった妖精たちよりも多感だったかもしれない。
決して彼が誰をも愛さない人間だったわけではない。むしろ彼は愛に飢えていた。父も母も、一人だけの姉も愛していたし、彼はもっと誰かに本当の自分を理解してほしかった。
 そんな鬱屈した感情をもってナルキッソスは日々を送っていた。

 ある妖精がいた。名をエコーと言った。
 エコーは全能の神ゼウスが仲間の妖精と浮気するのを助けた。そのことがゼウスの妻ヘラにばれて「相手の言ったことを繰り返すことしかできない」という呪いをかけられた妖精だった。神の呪いは絶対だ。
 エコーはナルキッソスが好きだった。それも外見だけでなく。
 彼女は他人の言ったことしか言えない。だから他人の言うことに敏感だった。
 エコーがナルキッソスを見ている間にも妖精たちはナルキッソスに告白した。
けれどナルキッソスは告白には答えず
「君は僕が僕じゃなかったら好きになったかい」
 と真剣に問うのだった。そして答えられないと見るや冷たく振るのだった。
 エコーは考えた。「ナルキッソスがナルキッソスじゃなかったら」自分が好きなのはナルキッソス。ナルキッソスじゃなかったら好きなわけはない。
でも、例えば他の男の人とナルキッソスの違いは何だろう。言うまでもない。ナルキッソスは輝くように美しい。
 そこまで考えてエコーは気が付いた。自分や妖精たちが好きなのはナルキッソスの外見なのだと。
 でも外見だけがその人のすべてではないのと同時に外見もその人の一部だ。それなのにナルキッソスは自分ではない自分を愛してほしいと言っている。
――彼は彼自身が嫌いなのだ
 それがエコーの出した答えだった。
 外見だけで愛され、内面を理解しようともされなかった人間。それがナルキッソスなのだった。
 彼は自分以外のものがうらやましかった。本当の愛にあこがれ、理解されたいと願い、しかし心のどこかでそれを恐れている。
 それがナルキッソスが問いかけるとき真剣になる理由だった。
 エコーはそんなナルキッソスを知りそのすべてを愛おしく感じた。
だからエコーはある日意を決してナルキッソスに近づいて行った。

 ある晴れた日、ナルキッソスは狩りで森を歩いている時に何者かの気配を感じ取った。
「誰だ」
 と声をかければ、
「誰」
 と返ってきた。
 猛獣ではなく言葉の通じる相手だとわかりナルキッソスは安心して「何もしないから出ておいで」と言った。
 すると茂みがガサガサいって妖精が出てきた。
 その妖精の事をナルキッソスは知っていた。なんでも、人の言ったことしか言えない変な妖精だとか。
 その頃の彼は妖精が現れると不機嫌になった。
 どうせ理解されない。そんな思いもあった。だからこんな冷たい言葉が出た。
「なんだお前か。さっさと目の前から消えてしまえ」
 エコーはあまりの言葉に涙をこらえきれずに逃げ出した。
 あなたに言いたい言葉をあなたが言ってくれることは決してない。
 そう思うと胸がつぶれるようだった。
 エコーは誰も来ない洞窟に入り、自分に言い続けた。
「消えてしまえ、消えてしまえ」
 自分の思いを伝えられない、彼の渇愛を救ってあげることもできない自分なんか
「消えてしまえ」
 エコーはどんどん痩せていき、ついには身も心も消えてしまった。
 けれど声は残った。
 ヘラの呪いのせいだった。神の呪いは絶対で彼女の身も心も消えてしまっても人の言葉をそのまま返すという声だけが残った。


ナルキッソスは不幸な男だった。
 彼の事を理解する数少ない人間である姉が早世した。
 そして彼が振った妖精の中に逆恨みをして神々に「ナルキッソスに耐えがたい苦痛を受けた。彼に同じ苦痛を与えてください」と祈るものがいて、復讐の神ネメシスが聞きとどけ、ナルキッソスに「人として最も耐え難い渇望に焦がれながらも報われずに死ぬ」呪いをかけた。神の呪いは絶対だ。

 その日も晴れていた。ナルキッソスは狩りに疲れて泉の水を飲もうとした時、泉に写った自分を見た。ナルキッソスにはそれが死んだ姉に見えた。
「お姉さん、私です。ナルキッソスです。お姉さん答えてください」
 しかし当然泉は答えない。
 ナルキッソスは半狂乱に泉にしがみついて離れず話しかけ続けた。
 彼は憔悴していった。かつての面影もなく妖精たちは彼に目もくれなくなった。それでもナルキッソスは泉に語りかけ続けた。

 ある雨の日。身も心も失ったエコーがナルキッソスのそばを通りかかった。エコーは何を思ったのか。いや、何も思えるはずはないのだ。ただエコーは言われた言葉を返した。
「お姉さん、私です。ナルキッソスです」
 雨で水面は乱れほとんど見えなかったがナルキッソスはそれが姉だと信じて疑わなかった。そんな時、
『ナルキッソス……』
 帰ってきた言葉にナルキッソスは飛び上がらんばかりに驚き喜んだ。
「僕が分かるのですか?」
『わかる』
 ああ、と言ってナルキッソスは泣いた。
「お姉さん愛しています」
『あいしています』
「ありがとう」
『ありがとう』
 ナルキッソスは気づいていた。返ってくる声が自分の言葉でしかないと。そこから、過ぎし日であったある妖精を思い出していた。
「ありがとう、エコー」
 そう言ったとたん、ナルキッソスは姿を消し、そこには一本のスイレンがあった。
 神の呪いは絶対だ。
「人として最も耐え難い渇望に焦がれながらも報われずに死ぬ」という呪いをかけられていたナルキッソスは渇望が報われたがために人ではいられなくなったのだ。
 しかしスイレンは雨の中喜びの涙を流しているようにも見えた。

「僕が僕じゃなかったら好きになったかい」
 その問いに答えるエコーはいないけど、山彦(エコー)は今日もスイレンの咲く山で鳴り響く。


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